家庭教師ハハの読書三昧!と日々の指導のアレコレ。

プロ家庭教師ハハの読書記録と日々の指導記録。

物の動きを認識する

私たちは普段、物がどうやって動いているのか、その仕組みや構造を思い描きながら生活することはないと思う。
例えば、「掃除機は電気エネルギーを動力に変換して」とか、
「よしテレビを付けるぞ!電気エネルギーを光エネルギーに変換だ!」みたいな。
そんなことを考えてる人は滅多にいないだろう。
ただなんとなく、掃除機は電気の力で動くこと、テレビもスイッチ一つで明るく付くことなんかを知っている。だからこそ自然な動作でそれらを操作することができる。

赤ちゃんはいつからそれらを認識するのか?

これらは全て行動が先に伴うので、私たちは後に学校へ行って学習することで知識を習得する。そのため、子どもたちは知識なしに使い方だけを先に学ぶことになる。
「見て、学ぶ」のである。
自分の息子(10ヶ月)を見ていて思うのは、
”この子はいつ頃から「見て、学べる」ようになったのか、「見て、学ぶ」ことを覚えたのか”ということ。
結局、この辺りも以前書いた以下の記事のように、二足歩行をすることができるようになっての発達なのだろうか?手が届くようになった、自分の判断で動けるようになったことで、好奇心が全てを網羅していくのか?

kurokky-katekyo.hatenablog.com

最近、我が家の息子 (10ヶ月)はfIre tv stickのリモコンを取ると
「あ、シナプしゅをかけてくれる!」というのが分かるのか、しっかりテレビの前にスタンバイする。これは毎日の習慣が経験となり獲得された行動、つまりパブロフの犬?なののかもしれない。
ただ面白いことにテレビのリモコンの方はスタンバイまではしない。何かが付くのは分かるので、テレビに注目するが、近くまで歩いては行かない。fire tv stickのリモコンの時だけテレビの前へいくという徹底である。
(ちなみに我が家にいる猫は、洗濯の完了を伝える音がなると、洗濯機まで来て私が洗濯物をカゴに入れるのをじっと待つ。そしてベランダへ行くのを案内する如く前を歩き、窓の前でスタンバイ。これはベランダに出すためにハーネスをつけるのをわかっているからという行動である。まさにパブロフの猫?)

もう一つはおもちゃのパトカーを一生懸命に走らせること。
いつの間にかするようになっており、特段気にせず放置していたのだが、私が撮った動画に映っていたその姿を見て、何人かが「9ヶ月で車遊びできるってすごない!?」と言ってきた。
私の親は特に反応し、「こんなの0歳がする!?」と感動さえしていた。
ただ、私の親は男の子を育てたことがないので、経験がないだけとも言える。動くものに対する反応というのは、やはり男の子の方が敏感のようだ。

そもそも、私も夫も未就学児を相手にしたことなどほぼないので、息子の動き一つ一つに対して第三者から指摘をされるまではピンとこないことが多い。育児書で今の月齢の状態を確認はするが、そんな詳しいことまでは書いていないので、「歩くのは早いね」とか「寝るのは遅いね」とかそういう運動についてや生活習慣の確認程度である。
保育園などにも通っていないので、周りの同じくらいの歳の子との触れ合いもほぼない。だから息子の行動をありのまま受け止めるだけだ。

そんな息子を見ていて、周りから指摘される「成長の早さ」からふと疑問に思ったのが、
一体どうやって物の構造を理解し獲得していくのかということである。

テレビに関しては私や夫の動きを見ていて学んだ、「見て、学ぶ」ということは分かる。しかしながら、車を走らせるのを見せたことはないし、「こうやって遊ぶんだよ。」と教えたこともない。いつの間にか車を走らせていた。
外には出るので、車が走っている姿は見ているだろうが、その車と家のおもちゃのパトカーをイコールで結ぶことは、割とハイレベルな気がするので、そうではない気がしている。
一体どうやって学んだのか?

一つ可能性があるとするならば、ズリバイし始めた時に両親が送ってきたおもちゃ。

 

これ。
結局、すぐにこのおもちゃのスピードを超えるハイハイをし始めたので、このおもちゃの目的とは違う形で遊ぶようになった。
彼が何を始めたかというと、”ミッキーいじめ”である。
動くミッキーに即座に追いつき、ひっくり返す。ひっくり返して動けなくなったミッキーの底で回転している車輪部分を観察し、触っているのだ。
この行動を何度も繰り返すので、意味があってやっているなぁと思って感心したのを覚えている。このミッキー、2回音楽が繰り返されると動きを止めるのだが、振動センサーが感知すると再び動き始めるという仕様だ。動きが止まった後に彼が何をするかというと、ミッキーの動きが止まった瞬間に一先ず起こしてあげて、頭をボンボン叩き再稼働を促のである。動き始めたら再びひっくり返す。これを繰り返して遊ぶ。
なかなか鬼畜な遊びなので我が家では”ミッキーいじめ”と言っている。

このひっくり返した際の車輪の動きをよく観察し、手で触れて回転する様を感じていたように見えていたので、それが何かしら活かされているのではないかと考えている。

回転する車輪から、同じ車輪がついているパトカーを回転させて動かすことを覚えたのか?

結局これも学習要因があり、それを赤ちゃんが何かしら経験や体験をすることによって応用して獲得していっているのだろうか?
そもそも赤ちゃんというのはどういった生き物なのだろう?

私たちはそもそも「赤ちゃん」に対して、「無垢で1人では何もできない守らなければならない存在」と考えていることが多いと思うのだが、実際「何もできない」わけではなく、まだ寝返りできない間も何かしらを獲得し続けていたり・・・とか考えてみる。
実際は「生きる」ために赤ちゃんなりの強い外界への好奇心や獲得する力などが備わっていて、それが何かしらのスイッチにより一気に開花するとか。
それともこうした好奇心や獲得しようとする力も赤ちゃんによって違うのか、先天的ではなく、後天的なのか、とかね、色々考えてはみるものの、息子だけを見ていても分かるはずもなく、とりあえず観察は続いていく。


人からの客観的な意見というのは、見方を変えるヒントをもらえるので、
たまに子どもの話をしてみるのも良いな、と感じ始めた今日この頃。
子どもが早い遅いとかではなく、それらを獲得していく過程が気になる。

結局我が家の10ヶ月児がいかにしてパトカーを走らせて遊ぶようになったのかはわからないが、彼なりの「車」という認識があるからこそ、タイヤ側をしっかり地面にして走らせているはずだ。なぜなら他のおもちゃを走らせようとはしないので。

もうすぐ1歳を迎える彼は、今後どのような変化をしていくのかなぁ。

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